このブログで紹介している登山ルートの状況は、現在の当該ルートの状況を保証するものではありません。
山行に先立っては、必ずご自身での情報収集を怠らず、安全な計画を心がけてください。

2012年7月18日水曜日

山行記 : 2012年7月14日~ 吾妻連峰縦走【1】 計画概要

僕は高校時代、山岳部に所属していた。
所属していたというか、部長だった。
でも、読図もロクにできない部長だった。
もう20年以上も前の話だ。

その高校山岳部時代に合宿で登った吾妻山に、今再び登りたいと思った。

吾妻山はテント場がほとんど無いので、あまり僕の山行スタイルにはマッチしないのだが、原発事故の風評被害もあってきっと山小屋も空いてるだろうと考え、めずらしく山小屋泊での行程で、高校時代の思い出を拾いに出向くことにした。

思い出を拾いにいくと言っても、20年も前の、しかも読図もロクにできなかった頃の記憶はもはや思い出すこともままならず、せいぜい「一切経には登ったような気がする」という程度のものだ。
とはいえ、現地の風景を見れば、色々なことがフラッシュバックするかもしれない。

今回の計画を立てるに当たって、わざわざ宿代と新幹線代を払って行くのだから、あまりヌルい行程にするわけにもいくまいと思い、東から西までの吾妻連峰の縦走をしようと考えた。
高校の時には一切経と東吾妻山程度しか登らなかったような気がするので、そのときよりもかなり大幅に行程を増やすのだ。

そんなわけで、以下のスケジュールを予定した。

0日目:
仕事が終わったらそのまま新幹線で福島へ。福島駅前のホテルへ投宿。

1日目:
福島駅前から磐梯吾妻スカイライン周遊バスで浄土平へ。そこから東吾妻に登り、吾妻小舎泊。

2日目:
吾妻小舎から一切経を経て西吾妻への縦走路を辿り、西吾妻手前の人形石から天元台リフト乗り場へ降りる。天元台スキー場ペンション村泊。

3日目:
ペンション出発し、リフトでまた登り、続きを歩く。西吾妻のピークを踏み、若女平コースから白布温泉へ下山。


途中、天元台スキー場に降りるのには抵抗を感じないわけでもなかったが、加藤芳則氏のアパラチアントレイルのスルーハイクの本を思い出し、途中で下界に降りても良かろうと判断した。
それ以外の選択は、延々と長いトレイルを下って秘境の温泉に投宿するか、西吾妻避難小屋に泊まるかぐらいしか見当たらない。

そもそも、僕は避難小屋を最初から宿泊地としてアテにするのに対して、非常に抵抗感がある。
第一に、あくまで「避難」小屋なんだから、便利な宿泊所としてアテ込むのに疑問を感じるのである。
第二に、軟弱モノと言われそうだが、無人小屋は不心得者が1人居るだけで非常に不愉快な環境になるので、緊急時以外はできるだけ避けたいと思っているのだ。

途中で下界(ペンション村)に降りようと、結局は東から西まで自分の足で歩くことには変わりないので、快適な寝床を優先することとした。
結果として、これが非常に当たりだったのだが、それは後述する。


このような行程なので、テントやシュラフを持たなくて済む分、荷物が非常に軽くなった。
が、天気が悪そうなので、着替えを多めに持った結果、装備の重量は17~18kgぐらいになった。

ザックは、この春に新調したホグロフスのマトリックス70。





















容量的にはこんなに必要無いと思ったが、行き帰りの移動の際に登山靴やら何やらまとめて突っ込むのに調度良いサイズだろうと。

シューズは、登山靴ではなく、あえてトレランシューズにした。
木道歩きが多いのではないかという予想と、トレランのトレーニングを兼ねるためのチョイスだ。

服装は、寒さに対する配慮はもちろん、東北の山なのでヤブっぽいのではないかと考え、長袖を中心に考えた。
これが北アルプスだったら半袖をメインに考えて、寒いときに上に羽織れるようにする、という程度に考えるところだ。
また、最近はスズメバチに対する恐怖心がマイブームなので、黒い服は一切排除した。

なお、西吾妻でクマの目撃情報があったことから、クマ鈴とクマスプレーの用意には抜かりが無い。

こうして、全行程が決まり、福島駅に向けて出発した週末の夜だった。


1日目その1「浄土平・吾妻小富士」編につづく)

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